human and environment
5-1. 先祖伝来の美田、棚田と日本人の精神
- 環境と文学 -  高阪 薫

A. 棚田の歴史と現状
 山の傾斜地に段々と連なる水田、「農民のピラミッド」と呼ばれる棚田は、武家社会が始まると共に棚田開発がどんどん進められた。多くの田を持つことは権力を増大させ、武家勢力の大きな財源であったからだ。現在、平野部に広がる水田はむしろ近世以降の水田で、それ以前は山の田んぼの方が稲作にむいていた。「現代人がイメージする広い水田は、時代が下がってからの産物。中世までは、概して集落も耕地も小さな谷にあった。棚田こそ日本人の暮らしの原風景だ」(石井進棚田学会初代会長談・朝日新聞1999/9/30 ) 。ところが、最近その荒廃は著しく、離農や減反政策や年寄りだけの労働で耕されずに雑草が生え、土砂崩れや地滑りが起こっている。今改めて棚田の効用を考え直し、棚田が持っている農山村の人々の暮らしや、山や川などの環境を守っている働きを見直そうという動きがある。棚田とは、現在農林水産省の定義では「20分の1以上の傾斜」地に開かれた田んぼであるといわれている。しかし棚田のある地域は農家を中心に山川と共にあって豊かな生態系が広がって、人間を中心とした動植物が互いに共存している地域であった。現在棚田の総面積は約22万haで、これは北海道を除き日本全域に渡っていて、水田の約8%を占めている。

B. 棚田の役割
 棚田は、人の暮らしにとって、重要な役割を多く担っている。

 まず、棚田はダムの機能をもっている。そもそも日本の水田は雨水を大量に蓄え、その水をゆっくり地下にしみ込ませ、川に流す機能をもっている。こうしたダムの機能は日本中にあるダム全部合わせた3倍もの水を蓄えているといわれる。特に棚田は全国で約22万haあり、貯水できる水量は6.6億tもある。これは利根川水系にある11個のダムが貯水できる量の約3倍にあたるという。そのことは棚田の機能が洪水や鉄砲水が出ないように下流地域を守っているといえよう。また、棚田は水をきれいにしていた。山からの湧き水や雨水は、棚田という濾過フィルターによって汚れやバイ菌が濾過されて流れているのである。現在これらの棚田が荒れてしまうと、水は溜められないし、濾過もされないし、そしてもっとも怖いことには地滑りを起こすもとにもなる。このように棚田は農山村の人々の暮らしを支え守ってきた重要な役割を担っている。

 棚田は人間に恩恵をもたらすだけでなく、生き物の天国でもある。一つ一つの田んぼにきれいな水が豊富にあって生き物がいっぱい生息している。メダカ、ゲンゴロウ、トンボなどが住み、それを求めて鳥や動物が周辺に住み着いている。生き物たちは棚田を中心に食物連鎖の生態系を形成している。

 更に棚田のある農村は、昔ながらの暮らしを残し、稲作を中心とする農事儀礼やお祭りなどがあり、古い豊かな農村文化を維持してきた。そしてなによりも棚田がもっている段々畑の風景は、農家の人達の手入れがゆきとどき、美しいロケーションを造り出している。いま棚田は観光にもその景色が利用されているくらいである。


淡路島 東浦棚田

C. 棚田の労働とその意味
 棚田での労働は想像以上に時間と労力がかかる。車も機械もなかった時代に山の上に登って急斜面の小さな田んぼを一枚一枚大切に維持して美味しい米づくりに励むことが、いかに大変か一般の人々には理解できない。棚田には農民の苦労と汗の歴史が刻み込まれている。そのような代々千年に渡って続けてきた労働の意味は日本人の性格や民族性或いは倫理的な意味を含めて、精神を形成してきたのではなかろうか。

 それは良く言われるように、まずしんぼう強く働くこと、即ち勤勉。そして我慢してつづける努力と誠意。狭い土地から高い収益をあげるための工夫と技術。そのために能率的に計算された田植えの植え方にみる美意識と精密。季節を読んで早手回しに準備する先見性と周到。これらはすべて日本人の国民的特性を形成しているといってよい。それは二千年以上の繰り返された暮らしのなかから継承され、出来上がったと思われる。
            (石井里津子編著「棚田はエライ」農文協参照)


輪島白米町 千枚田(全体)


輪島白米町 千枚田(部分)


棚田の稲刈り風景

 高洲山の山裾が海に流れ込むような急斜面を切り開いて耕した千枚田は、わずか1町2反あまりの面積に2,092 枚。紺碧の水平線上に浮かぶ七ツ島、そして岩に砕ける白い波頭が千枚田の幾何学模様と調和して一つの景観をつくり出し、国道249 号を往く人々の目を楽しませてくれる。

 千枚田を耕作する白米町20戸の農家の人々は土地貧乏に悩み、能登の厳しい地形を米づくりに対する農民の執念から急傾斜地を切り開いて、ものの見事に水田を作り上げてしまった。

 彼らの一念は、日本独特の農地パターンを作り、この千枚田にこそ日本農業のすべての歴史がある気がする。一枚の平均面積は1.8 坪であるという。狭い上に1メートル以上の土手に阻まれ、平地の3倍の労力を注ぎ込んで米づくりにいそしむ。その代償は能登の白米の千枚田として、今日良質米として高く評価されており、農民の自信と誇りを感じさせるものである。白米町の地名も、美味しい白米に憧れる祖先の悲願を込めた名前であった。現在白米町は千枚田景勝保存地として、景勝を保護しながら約900枚の田んぼを対象として維持保存のために努力し、また外部からの補助金や協力者を得てこの区域を観光地としても生きた棚田のシンボルとして残そうとしている。
        (参考:輪島市観光課「白米千枚田」パンフレットより)




千枚田での稲刈り風景

 千枚田米(棚田でできた米)を送ってくれた能登半島輪島白米町のお百姓さん「お金は要らない、おいしく食べてください」と私に30kg送ってくれた。調査で初対面にもかかわらず親切にいろいろ教えてくれたお百姓さんである。心のこもった贈り物である。しかしその好意をただで受け取るわけには行かない。その対価を調べて送る。心の通じ合い、その心に感謝の念、お金に代えられないつながりを感じる。