human and environment
2-2.大地・水・植生
- 環境とコスモロジー 北米先住民の砂絵から - 久武 哲也
ナバホの人たちにとって最も大事な場所が五ヶ所あります。ラプラタ山(La Plata)、これは北の聖なる山です。ラプラタ、つまり平らな山という意味です。南の方にテイラー山(Mt. Taylor)という3500m位の南の聖なる山があります。富士山くらいの山で、火山系の山です。東の聖なる山は、シェラ・プランカ(Sierra Blanca)という山で、ロッキー山脈の南にエルバート山(Mt. Erbert)など4000m級の山が連なるその山系の中の一つの山です。コロラド州の一番南にあたります。西には聖なる山、サンフランシスコ峰(SanFrancisco Mountain)があります。中心になる山は、エル・フェルファーノ(El Huerfano)という山で、大地のへそ、世界の中心という意味です。山をドズィル(Dzil)と言うのですが、こうしたドズィルがそれぞれ人間の身体の臓器に対応していると考えられています。 ナバホの土地は、非常に乾燥しています。表層の植生は非常に少なくて、ほとんどが砂漠に近い状態です。モニュメント・バレー(Monument Valley)と呼ばれるところは、1939年に、ジョン・フォード(J. Ford)監督の「駅馬車」という映画が撮影されたところです。この映画が、インディアンが悪役になるというパターンを決定づけたと言われています。開発が進んで、映画に見られるような景観は、今ではほとんど見られません。マザーアース・ファーザースカイ(Mother Earth, Father Sky)という映画もありますが、その映画でも、このモニュメント・バレーの景観が映っています。スー族の人たちが出てきます「ダンス・ウィズ・ウルヴズ」という映画は、このナバホの土地よりずっと北の草原地帯を背景にしています。 リザベーションの中の北の方を、コロラド川の北の支流のサン・ファン(San Juan River)という川が流れ、流域にはサン・ファン盆地が広がっています。南にはリトル・コロラド川(Littlle Colorado)が流れています。サン・ファン盆地は、ナバホの人々にとっては大事な生活の舞台になっています。サン・ファン盆地の西はチャスカ山脈(Chaska Mountains)で、それより東の盆地の低い土地に潅漑プロジェクトが展開されています。チャスカ山脈の西側は逆に非常に乾燥していて、農業は行なえず、羊の放牧が行なわれています。 ナバホの大地の植生は非常に薄いのです。わずかに見られる樹木や草地は、ほとんどがピニオン(Pinyon)とかジュニパー(Juniper)とかに限られています。ジュニパーというのはニガヨモギ系統の草で、ピニオンはマツ科の木ですが、インディアンが食料にする赤い実を採るメスキット(Mesquit)と同じように非常にかたい木です。木の下にはブラッシュと呼ばれる薮草がまばらに生え、ニガヨモギに似たヨモギ科の草が混生しています。北のロッキー山脈の方へ行きますと、スギ系統の木が増加します。標高は1800〜2600mくらいのところです。冬は非常に寒くて、零下20度くらいまで下がりますが、夏はほとんど乾燥しています。 ![]() 降水量8インチというのがだいたい砂漠の限界ですが、ナバホ・ネインョンの降雨量は、年間で真ん中のチャスカ山地で20〜30インチ(500〜750ミリ)くらいですが、盆地は降水量が8インチから12インチ(200〜250ミリ)くらいで、北の方に向って少しずつ多くなっていきます。 また、ナバホの土地は雷が非常に多いところです。しかし、雷は鳴っても、雨は降りません。上の方では雨が降っているのですが、地表までおりてこないのです。これをバーゴ(Vergo)現象(「おとめ座」現象)と言っています。大気が非常に乾燥しているので、雨が途中で蒸発してしまうからです。 雨量が多く見られますのは、東の方の山地と北側のロッキー山脈のところだけで、潅漑ができるのは、チャスカ山脈の東のサン・ファン盆地しかありません。ここには、鉱物資源もあります。ウランとか天然ガスとか石油とかが、盆地の南のテイラー山の近くにあるのです。 農業開発も同じチャスカ山地の東のサン・ファン盆地でしかできません。盆地の南の方と東の方は井戸を掘れば地下水が自噴するところですが、井戸による地下水の汲み上げも、チャスカ山脈の東の方だけで、他の土地では地下水位が深くほとんど利用できません。ですから、潅漑をできるのも東の方だけということになります。 そこで農業開発を行なうのですが、潅概をやります以前から、ソイル・エロージョン(Soil Erosion)といいますか、降雨量は少ないのですが、一度に多量の雨が降るために物凄い「土壌の侵食」がおこります。土壌侵食がひどいので、等高線にそって土手をつくりますが、それでも、ガリー(Gully)侵食といって、雨がどっと降ったときに土がえぐられて亀裂が入り、土が割れてしまいます。北の方でも、チャコ川とサン・ファン川の中間地域で、潅漑プロジェクトが行なわれ、井戸水潅漑をしています。チャスカ山地の西側の川は一般にウォッシュ(Wash)といいますが、乾期になりますと川の水はなくなってしまいます。ですから、井戸水で潅漑すればするほど、地中の塩分が地表にわきでてくる塩化現象(塩害)が見られるということになります。チャスカ山脈の東の、鉱物資源 の開発とか潅漑プロジェクトが行なわれている地域が、オリジナル・リザベーションといいますか、ナバホの人たちが強制的に移住させられてきた時のもともとのリザべーションでした。それ以前のナバホの人たちの移動の経路を見ますと、十六世紀ごろには東の聖なる山、シェラ・ブランカのあたりに住んでいました。それがだんだん西の方に移ってきます。西へ行くほど乾燥しますから、羊の放牧が盛んになりました。19世紀の半ば、アニリン染料が発明されるまで、羊の毛を染めるための触媒にするミョウバンの採集をしていました。ナバホの人々は、ミョウバンの採集と羊の放牧をしながら西に広がって行ったのです。人口の分布も19世紀半ばまでは東の方に集中していましたが、だんだん西の方へ移動していきました。政府やBIAは、東の方の農業開発を指導して、できるだけ定着させようとしているのですが、ナバホの人たちは、定着するよりも、チャスカ山脈の西の方までしだいに移動しているのが現状です。 ![]() |