human and environment
4-3.「母なる大地」を切り開くこと
- 環境とコスモロジー 北米先住民の砂絵から - 久武 哲也
成熟ということを考える時に、ナバホの人々は、鉱物も成熟すると考えています。すべてのものは、4つの世界を経た後に、はじめて成熟するのです。 ナバホの人たちは、成人式を迎えたときに、四つの聖なる山、シェラ・ブランカ、テイラー山、サンフランシスコ峰、ラプラタ山を全部まわります。1000km近い距離ですが、人間として大人になるときは、4つの聖なる山をまわり、4つの世界を経て自分たちの白い世界、完成された世界へ戻ってくるわけです。そして、鉱物も、トウモロコシも、同じです。地下の世界から、黒の世界、青の世界、黄色の世界、そして白の世界を経て地表へ出てきたときに、鉱物も成熟しているわけです。 鉱物も成熟する。それゆえに人間が大地から鉱物を掘り出すというのではありません。ナバホの人々の考えでは、大地が、母なる大地が、地下に眠っている自分の貴重な種を生み出してくるのです。そういう意味で、出産と同じ言葉で呼びます。完成され、成熟したものを生み出してくると言うのです。 鉱山の開発というのも、ナバホの人たちに対しては、出産というイメージと重ね合わせられるものでないと説得力がなかったのです。ですから、鉱脈を、大地を掘るという行為は、母体の羊水を入れる膜がありますが、それを切り開いてしまうという形でナバホの人たちの頭の中に入ってくるのです。胎児が入っている母親の子宮を、地母の子宮を切り開いて取り出すというイメージがすぐに連想されるのです。 地母の姿が砂絵に描かれたとき、ナバホの人たちが思い描くのは、こうしたことです。自分の体を想像することで世界を見るとき、こういうイメージが頭に浮かぶわけです。そういうことで、ナバホの人たちは、鉱物を掘るという行為、大地を切り開くという行為に対して、感覚的な痛みや非常な心理的抵抗があることになるのです。ナバホの人たちの環境に対する倫理というものは、こうしたところから出てくるわけです。砂絵を描くこともプランティング、種をまくと表現します。 私たちは、人間や生命に対して成熟という言葉を使いますが、ナバホの人たちにとって、鉱物も、母なる大地があたたかく生み育ててきた貴重な子供だということです。天父が地母に与えた生命の玉、要するに精液、それが大地のエッセンスなのです。マザーアースとファーザースカイが結婚して、その結婚するときに天から送られてきたのが鉱物なのですから。
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